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2011年3月21日 (月)

圧倒的な存在感を主張していた

山は、自粛しています。

被災されたされた方々には、心からお見舞い申し上げます。

平凡な日常がいかに幸せなことなのかを強く感じます。ともに明日に向かって努力しましょう。


自然のなかで、いかに自分がちっぽけな存在であるのか?
昨年、雪崩に遭遇した時にも強く感じました。

下の写真は、先に雪の戸隠を散策したときに出会った杉の巨木です。
ふと何かを感じ、仰ぎ見た瞬間、殴られたような強い衝撃をうけたのです。

出た言葉が「ちくしょう、やられた」でした。
圧倒的な存在でした。自然と涙があふれました。

この写真ではうまく伝えられないのですが・・・。

Dsc_0079_0561

(狂おしく枝を叢生、圧倒的な存在でそこにある)

生き抜いてきた痕跡に満ちています。確かに生き抜いてきた力を感じます。

昨年、雪崩に遭遇したとき、何度か転びながらも、立ち上がり、全身の筋肉を使って斜面に這い上がった時、自分には「生きるんだ」という「強い気持ち」があることに気付きました。

この歳まで生きてきて、それを知り、改めて、生き方について見つめなおすことになったのです。



小さな事象に右往左往し、何をすべきかを感情にゆだね。メンツ・プライドのためにエネルギーを浪費する社会。事の本質を知ろうとはせずに・・・。娑婆は消費・消耗作業ばかりである。

これに嘆いてもしょうがない。
自分をも知らなかったのですから。

自分にとって、山を歩くことは、自分を見つめる作業です。消耗ではなく、何かしらを薄らと積み重ねる作業です。
単独行を好むのは、この感覚が研ぎ澄まされるからか。

喜びも悲しみも、命、すべてを飲み込んでしまう。
だけども、ちっぽけだけれど、僕たちは生きている。そして、間違いなく困難を乗り越えられる。

Dsc_0085_0531

(春、芽吹く様子を見に行くつもりである)

命は永遠ではない。

小さな日常の幸せを素直に喜びたい。感謝したい。

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